■涙がにじむやさしいお話、そして小さな違和感
読んでいると、自然に涙がにじんでしまう——そんなやさしいお話です。
童心社の『うまれてきてありがとう』(作・にしもとよう)。
「ママ、どこ?」と小さな命が探し歩く姿に、ただただ胸が温かくなります。
けれど、読み進めるうちに、どうしても引っかかる場面がありました。
それは、フクロウさんの言葉。
「いっしょにあそぼう」
他の動物たちは「ママはここだよ」と紹介し動物のママはその動物の子どもに「うまれてきてくれてありがとう」と言います。
これは主人公を“生まれる世界”へ導いてくれてるように見えます。
しかしフクロウさんだけは、どこか違う。
主人公が「ママを探している」と言っても、“あそぼう”と誘うのです。これは何を表しているのか、最初は私は分かりませんでしたし、小さな違和感が、心のどこかに残りました。しかし、絵本の最後の著者の難産の体験からこの本を書いたという記述で腑に落ちました。
主人公が今、ママを探していると遊ぶのを断るとフクロウもまた
「ぼくのママはここ」「うまれてきてくれてありがとう」と語ります。
最初に“夜の誘い”をかけた存在が、最後には“命を讃える”側に立つ。
その変化に、にしもとようさん自身の難産の体験——
生まれることの痛みと希望の両方が重なって見えたのです。お月様や光は何を象徴しているのか。なぜ動物たちなのか。
——そんな疑問が、この絵本をもう一度読み返し、考察したくなったきっかけでした。
■いのちのはじまりを描く、やさしく深い物語
絵本『うまれてきてありがとう』は、
“うまれる”という行為を、単なる生理的な出来事としてではなく、
魂がこの世界にやってくる旅として描いています。
やわらかな言葉と、やさしい絵の奥に、
「生と死」「夜と光」「あの世とこの世」といった境界のテーマが静かに流れています。
■「神様がうまれていいよ」と言ったとき
物語の始まりで、主人公の小さな存在(魂)は、
神様から「うまれていいよ」と告げられます。
これは、“この世に生まれる許可”であると同時に、
「生きる覚悟を持ちなさい」という宣告にも感じられます。この瞬間から、命の旅がはじまります。
魂が母のもとへ向かう道、それは“夜から光へ向かう道”でもあります。
■動物たちとの出会い──自然界の声
主人公は道すがら、さまざまな動物たちと出会います。
「ママはこっちだよ」「おいで」と声をかけられ、
少しずつ“生きる世界”へ導かれていきます。
それは自然界そのものの声。
命の連なりの中で、「きみもこの世界においで」と
生きものたちが手を差し伸べているようです。
■フクロウの誘い──“境界の番人”の声
物語の中でも印象的なのが、フクロウさんの登場です。
彼は夜の闇の中でこう語りかけます。
「いっしょにあそぼう」
一見やさしい言葉ですが、どこか夜の静けさをまとった誘いです。
フクロウは夜に生きる鳥。
古来より“知恵”や“境界”の象徴とされ、
生と死、昼と夜、現実と霊の世界をつなぐ存在と考えられてきました。
この絵本でも、フクロウは“まだこちら側(あの世)にとどまる選択”を象徴しているように見えます。
やさしい誘いは、同時に“ためらい”でもあるのです。
しかし後半で、フクロウもまた
「ぼくのママはここ」
フクロウのママも「うまれてきてくれてありがとう」
と語ります。
夜にとどまっていた存在が、
光を受け入れる側へと変わる——。
まさに夜と光の境界を越える瞬間です。
■光と月──命が宿る瞬間
やがて魂はこう語ります。
「あたたかなひかりにつつまれたよ
やさしくひかりにだきよせられたんだ」
これはまさに、“受胎”や“着床”を象徴する詩的な描写。
命が形を持ち、この世に宿る瞬間です。
そして続く言葉、
「ひかりになってママのお腹にはいったよ
まんまるお月様の夜だった」
“光”は魂の本質、
“ママのお腹”は新しい世界への入口、
“まんまるお月様”は母性と受容の象徴。
夜の静けさの中で、魂はひかりとなり、月に照らされながら母の胎に宿ります。
それは、暗闇から光へ、死から生へ、
境界を越える決意の瞬間なのです。
■「うまれてきてありがとう」にこめられた祈り
タイトルの「うまれてきてありがとう」は、
“生まれてくれてありがとう”という親の言葉であると同時に、
“生まれてこられてありがとう”という命自身の祈りでもあります。
夜の向こうに光があるように、
恐れの向こうにやさしさがある。
この絵本は、そんな“いのちの境界を越える物語”なのです。